slap and tickle

暴君天使の見る夢は

1

 ほわわんと薄ピンクの霧が晴れて、視界が開けてきた。
「あ、起きましたよー」
「そう、またずいぶん長いことかかったわねえ」
 榛名は大きく目を見開くと数回しばたたき、ガバッと身体を起こした。とたん目の前で揺れる巨乳に額をぶつけてボイイーンと跳ね返される。
 巨乳の持ち主が、ニコッと笑った。
「おはよ、榛名元希くん」
「な、なんだよっ、あんたら」
 真っ赤になって後ずさる榛名に向かって、もう一人の小柄な女の子も微笑む。
「どこか痛いところとか、ないですか?」
「……ね、ねーけど。ていうか、ここどこ?」
「天国です」
「…………」
 アホか、と胡乱な目で女どもを見やってから、榛名は帰ろうと立ち上がった。が、足許がフワフワして踏ん張れず、すてんと尻もちをついてしまう。
「慣れないうちは、ちょっと歩きにくいよ」
 巨乳が手を差し伸べてくる。その手を無視して、榛名は叫んだ。
「おい! ここはどこだ!」
 綿菓子のような薄ピンクの空間。遠くにかすむシンデレラの住んでそうなお城。甘い、花のような匂い。
「だから、天国だって言ってるでしょ」
 榛名はぴんときた。そうか、これは夢だ。夢なら設定ヘンでも仕方ねー。
「はいはいわあったよ、天国な、天国」
「そう、あなたの享年は十八歳と五十七日五時間三十二秒、夏の大会で試合の最中に危険球を受け、打ちどころが悪くて死亡、よ」
「へー」
 ボリボリとへそを掻きながら、榛名はやる気のない相槌を打つ。
「で、会議の結果、これまでのあなたの経歴からして、即天国へ、ってわけにはいかないってことになってね」
「別にオレは、何も悪いことなんかしてねーぜ」
「そうなのよね。悪いことをした、とも言い切れないのよね……。むしろ、あなたの心に残る、悔恨の残骸が問題というか」
「かいこん? 何だそりゃ」
「後悔する気持ち、かな」
「は? オレは後悔なんかしたことねえよ」
「そう、自分でも気づいてないのが問題なの。あなた、阿部隆也くん、覚えてる?」
 榛名は一瞬ピクリと身体を震わせてから、みるみる眉間に皺を刻んだ。
「タカヤ! あの豆ザル、いっつもオレのことシカトしやがってクソッ」
「ふうん。阿部くんのことはちゃんと覚えてるのね」
 資料を見ながら、もう一人の貧乳が口を挟んだ。
「榛名くんは、死亡時に脳が欠損したわけではなくて、もともと興味がない対象のことはインプットしていないだけみたいです」
「そう」
 巨乳はあっさりと頷くと、凛と声を張った。
「ミッション! 榛名元希。あなたはこれから下界へ降りて、阿部隆也くんを幸せにしてあげること。期間は一週間。つまり百六十八時間よ。延長は一秒もきかないから気をつけて」
「はあ? 何でオレがんなこと……」
「あなたの姿は相手には見えないけど、意識を強く働かせれば少しは影響することはできます。それじゃしっかりね!
 あなたに天国への門が開かれますように」
 榛名の目の前に、白いドアが突然現れた。すかさず貧乳が扉を開ける。
「行ってらっしゃーい、がんばってくださいねー」
 にこやかに言うが、ドアの外を見て榛名は仰天した。
「行ってらっしゃーいってオイ、下、何もねえじゃねーか! 普通死ぬだろ!」
「007じゃあるまいし、二度は死なないでしょ。大丈夫、あなたには翼があるから」
「翼?」
「ほら、早くしないと一週間なんてあっという間だよ! 行った行った!」
「ってえ!」
 バットで尻を殴られ、自分の背中に生えた翼を認識する間もなく、榛名はドアの外に突き落とされた。
 夢でも死ぬのは怖え、と目を瞑ったが、自分の意志とは無関係に翼が羽ばたき、地面とキスは避けられた。
「お、すげ、飛べるじゃん。面白え」
 ぱたぱたと羽ばたかせ、左右上下にぶれながら地上を目指す。
「それにしても何だあいつら……タカヤを幸せにするって……ま、とりあえず行ってみっか」
 榛名は鼻歌を歌いながら、阿部家へ向かって飛んで行った。
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